自分がノってないときも、情報は流れる

自分の発言引っぱってなんなんですが(最後の一文だけ自分)

“ で、Amazonにない本は、とうぜんジュンク堂にもないわけで、探していた本は1冊も見つからず。そりゃそうか。ジュンク堂は棚を渡り歩いて本と出合うための本屋だからな。探してるものがわかっていて来る所じゃない。

……というわけで、科学系の棚はけっこうヤバかった。手持ちがなくて助かったよ。できるだけ近づかないようにしよう。破滅してしまう。

初ジュンク堂 - ただのにっき (2007-09-29)

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共感しまくり。

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わかるわかる。なんか波長が合った時のジュンク堂はやばい
http://markie.tumblr.com/post/13923025

この場合、本屋にいて波長があうあわないってのは、自分の側の問題ですよね。つうことは自分がのってないときにも本はそこにあって、その中にはとっても面白いものがある可能性がある。

こういう波長みたいなものはweb見ている時にもあって、つぎからつぎにたんぶりたい言葉に出会う日もあれば、一つもしたくない日もある。

そういう時通り過ぎていった情報の中にはとっても重要なものとかおもしろいものがあるかもしれない。でも通り過ぎてしまった場合単純になかったものになってしまう。まさかいちいち「あの日何も引っかからなかった日に見たものの中になにかおもしろいものが有ったのかもしれない」なんて振り返ったりしない。時間がない、つうかめんどい。

まあ、重要なものは繰り返し現れる、という格言もあるぐらいだし、そんなに気にする必要はないのかもしれない。つうか全ては有限なんだから心配してもしゃーないっつうか。